紅梅会の概要

紅梅会の概要

慶應看護同窓会 紅梅会とは

慶應看護同窓会 紅梅会(以下紅梅会)は、慶應義塾三田会の一つである。
紅梅会は、慶應義塾で看護教育を受けた卒業生による同窓会である。
「紅梅会」の名前の由来は、「厳寒の中でいち早く凛として咲く梅のゆかしさを象徴し、紅梅の強くやさしい花も香もある良い看護婦になるように」という願いを込めて命名された。

慶應看護のあゆみ

慶應看護教育は、1918年(大正7年)に始まった。1920年(大正9年)、大学病院開設をするにあたって看護婦養成が急務とされており、芝白金養生園(北里研究所)に仮養成所を設置して、慶應義塾大学医学科附属看護婦養成所が開設された。初代所長は北島多一医学科教授で、日本赤十字社で看護教育に携わっておられた鈴置銈(すずおきけい)を看護婦副監督に招き、第1回生の養成が開始された。(慶應義塾史辞典258頁より)
その後、1950年(昭和25年)には、医学部附属厚生女子学院と改称、1988年(昭和63年)には、看護短期大学を開設、慶應の看護教育が連綿として引き継がれてきた。2001年(平成13年)には、念願であった看護医療学部が開設され学部教育がはじまった。
2018年(平成30年)には、慶應看護教育開始後100年を迎え現在に至っている。

紅梅会のあゆみ

「紅梅会」は、学校創設から16年後の1934年 (昭和9年)、第15回卒業生を送り出したことを契機に、鈴置銈看護婦副監督等によって設立された。
2023年(令和4年)で90年を迎えた。
「紅梅会」は、慶應看護で学んだことをもとに、看護職として教育と臨床、地域、企業などさまざまな場で、また、看護での学びを活かせる多様な場で活躍し社会に貢献されている様子を紹介し、会員間での情報を提供しながらつながり、さらに発展できるように働きかける。

目的

紅梅会会員相互の親睦と向上発展をはかること。

活動

  1. 紅梅会会報:年1回(3月)発行
  2. 研修会の開催:年1回開催
    会員からの要望や意見を取り入れながら、主として看護・医療に関するテーマを取り上げ、会員のステップアップにつながる研修を企画する。
  3. ホームページの維持・管理
    紅梅会からの情報発信し、会員からの情報も得て、会員の相互交流の場にする。
  4. 総会
    年1回 5月に開催
  5. 運営方法
    役員、委員で構成された役・委員会により企画、運営する

慶應義塾看護婦の歌

慶應看護の伝統を受け継いでいくために、慶應義塾看護婦の歌が作成されました。
ぜひご視聴ください。

背景

作詞は富田正文 氏1)。作曲は、服部 正 氏2)
1942年(昭和17年)の秋から冬にかけて作られた。27回生(1944年卒)は、入学した年の秋から冬にかけて、作曲家の服部正氏の指揮の下で音楽の時間に初めて歌った。(第27回生 前田照子氏談)3)
その後、この歌は、厚生女子学院・短期大学で開催されていた戴帽式において歌い継がれてきた。歌詞に、「挿頭(かざし)のペンに光あり、かがやきあれよ 慶應のみとりの道にわれらあり」とある。看護学生は、自分が選んだ看護という職業に、慶應の看護師として誇りをもち、社会で貢献することことへの思いを込めて歌っていた。

慶應看護婦の歌
慶應看護婦の歌

愛スルモノハ強シ

1957年(昭和32年)小泉信三元塾長から慶應義塾の看護師に対して贈られた言葉である。〇〇年、杉山春子氏(第24回生、当時大学病院の看護婦長)の発案で、「慶應看護婦の生き方を象徴する言葉がほしいと」当時の川久保事務局長を通して依頼。快く引き受けて下さり、直筆で、「愛スルモノハ強シ」色紙に「愛スルモノハ強シ」と書いて下さった。『旧約聖書の「愛は強し」から、「愛スルモノハ強シ」にしたよ』とのお話を添えて、この言葉をいただいた。(第27回生 前田照子氏談)3)

  1. 富田正文 慶應義塾塾歌の作詞者
  2. 服部 正 日本の作曲家
  3. 茶園美香、看護短期大学の閉校を向けて、三田評論、No1057、2003年5月
愛スルモノハ強シ
愛スルモノハ強シ