インタビュー

三浦 英恵さん

三浦 英恵さん

(みうら はなえ)

インタビュー日時:2022年06月23日

卒業:1999年短大卒

所属:日本赤十字看護大学看護学部 成人看護学

肩書:教授

経歴

神奈川県立厚木高等学校卒業後、看護師になることを親や親戚に反対され、すんなり諦め一浪後、早稲田大学社会科学部に進学する。早稲田大学入学後やはり看護師になりたいと決意を新たにするが、中退する勇気が持てず大学卒業後、慶應義塾看護短期大学に入学する。短大卒業後は、慶應義塾大学病院の前・7N病棟(心臓血管外科・呼吸器外科病棟)に6年間勤務する。その後、専門看護師を目指し休職を頂き、東京医科歯科大学大学院に進学する。しかし、指導教授から「あなたは研究向きよ」と言われ、専門看護師に必要な単位履修登録の印を頂けず、専門看護師への道が閉ざされる。当時の木村チヅ子看護部長にどのように説明したらよいか迷いながら、1年が過ぎたころ研究をすることが楽しく感じられるようになる。博士課程に進学することを決意し、慶應義塾大学病院を退職する。東京医科歯科大学大学院博士(後期)課程在学中から、慶應義塾大学看護医療学部や日本赤十字看護大学等で、ティーチングアシスタントを経験する。日本赤十字看護大学 看護学部 講師・准教授、東京医科歯科大学大学院 保健衛生学研究科 共同災害看護学専攻 准教授を経て、現在、日本赤十字看護大学 看護学部 成人看護学(クリティカルケア看護)で教授として在職中。

研究キーワード:クリティカルケア、循環器看護、回復、災害看護

リサーチマップ(研究者総覧)

高校生活から看護師を志すまで

 高校時代に進路について、とても悩みました。妹が幼少期に難病により長期入院をしていた経験があり、その時から看護師という選択肢も考えていました。しかし、親や親戚に反対されたことが大きく、すんなり諦めて文系の大学に進むことにしました。当時、女性の社会進出が十分ではない時代でしたが、「キャリアウーマン」という言葉に憧れ、英語を自由に使いこなし、世界を飛び回ることを夢見ていました。

大きな夢を抱きながらも、勉強は手につかないほど高校時代はチア―リーディングに没頭していました。学内でのお披露目に満足できなかった私は、部長としての独断で気が乗らない部員を何とか説得し、大会の出場を果たしました。何か賞を頂けたわけではないのですが、「私たちが土台になればよい」「その後、将来、後輩たちがつないでくれる」というのが口癖でした。卒業後、テレビで高校の後輩たちが全米の大会で優勝したことを知り、とても嬉しく、誇らしく感じたことを今も覚えています。何か新しいことを始める、一歩前に進んでみると新たな世界が開けるという体験は、私の人生における重要な基盤となっていると感じています。

文系の大学入学後、やはり看護師を目指したいと思うようになりました。しかし、せっかく入学した大学ということもあり、途中で中退するという勇気はありませんでした。本当に看護師になりたいなら、大学卒業後でも行動に移せるはずと思い、そのまま在学していました。その間、社会保障法、医事法など医療に少しでも関連する科目を多く履修しながら、看護師を目指す準備を続けていましたが、周囲が就職活動をしている間は、一人取り残されたような不安な気持ちだったことも覚えています。

看護医療学部に入学してから今まで

 面接試験の時も、「なぜ看護師を今から目指すのか?」かなり質問を受けました。当時はバブルがはじけて女子の就職難の時代でもあり、社会に出たくないモラトリアムと疑われたのだと思います。入学してみると、私と同じような大学卒後の同級生が5名もいたことは心強かったです。年齢差のある同級生とうまくやっていけるだろうかと不安でしたが、同じ看護師を志す仲間として、協力しながら、大変な実習を乗り越えていくことができました。

短大時代に出会った先生方からの教えは、今でも私の大切な宝です。故・中村真澄先生には、シーツのしわ1つが患者さんに不快や害をもたらすことがある、先生の真剣な表情とベッドメイキングのデモンストレーションから教えて頂きました。下村裕子先生には、全身全霊、エネルギー満ちた講義から、看護として大事なことを沢山教えて頂きました。茶園美香先生は、Mayo Clinicへの米国研修を引率頂きました。しかし、父が亡くなり滞在1日で日本へ戻ることになり、至らない私を諭し慰めてくださったことは忘れられません。山下香枝子先生はいつも変わらず、穏やかに見守っていてくださいました。また、よく茶園先生とお二人で、信濃町の中華料理店で夕食を召し上がっておられました。看護医療学部の創設の準備など激務の日々を送っておられたからだと、教員になった今、先生方のご苦労もわかるようになりました。

看護系大学教員になるまで

 6年間の臨床経験を経て、専門看護師を目指したいと思い大学院に進学しました。当時の上司である松田美紀子師長(現在の慶應義塾大学病院事務局長、元看護部長)には、今後のキャリアアップを見据えて、看護実践や経験したことなどポートフォリオに記録することを、毎年の面談等を通してご指導いただいていましたので、進学にとても役立ちました。入学後は、想像もしなかった数々のできごとに遭遇しながら(上記経歴参照)、最終的には博士(看護学)の学位を取得するに至りました。研究の「け」の字もわからなかった私ですが、臨床経験の中での疑問をもとに、研究を行っていく貴重な経験をすることが出来ました。ご協力いただいた患者さんに沢山のことを教えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。今思うと、何か一つのことを探求するということが性に合っていたのだと思います。大学院時代には、武田祐子先生や下村裕子先生からお声かけ頂き、慶應や日赤で演習や実習など、教育経験もさせていただきました。学生の様子や反応から、教える難しさも体感しましたが、無限の可能性をもつ学生の学びの過程に、一時点でも関われることはとても幸せなことだと感じることができました。看護は、対象をいかにホリスティックに捉えられるか、関心を寄せることができるかに加え、科学的な根拠を持ちながら「ケア」できることが重要であると考えています。当時は浅学非才の身でしたが、学生が看護の専門的能力を身につけ自信を持てるように支援するとともに、自ら指向できるような人材を育てたいと考えるようになりました。

慶應義塾大学病院在職時(プリセプティ(短大13回生)と一緒に)
慶應義塾大学病院在職時(プリセプティ(短大13回生)と一緒に)

災害看護学との出会い

大学院修了後は、日本赤十字看護大学に教員として着任しました。赤十字の使命、活動の一つに災害支援があることは皆さんもご存じの通りです。それまでは、全く災害について考えることもなかった私ですが、日赤への就職とともに災害に備えることの重要性に必然的に触れるようになり、約1年後に東日本大震災が起こりました。赤十字に所属していながら、直接的な支援に赴くことができず、うしろめたさも感じることもありました。そのような中、私立大学戦略的研究基盤形成支援事業:国際的な災害看護研究及び教育トレーニングを行うための拠点形成」の一部で「災害時における疾患や障害をもつ人々への援助」に関する研究に携わり、更にインドネシア、タイなどの赤十字、災害支援活動家、看護大学教員との交流の機会を頂き、災害看護を考える機会が増え、間接的ではありますが、災害看護に微力ながら携わる実感を得ることができました。

災害看護の重要性~教育の変遷から~

 平成19年4月に厚生労働省より提示された「看護基礎教育の充実に向けた指定規則の改正案」の中で「看護の統合と実践」が看護基礎教育に新たに位置づけられ、その中で「災害直後から支援できる看護の基礎的知識の理解」が明示されました。そのため「災害看護学」を学部時代に学んでいない方もいらっしゃることと思います。比較的最近、約10年の中で、看護基礎教育の中に位置づけられ、定着してきたと言ってもよいかもしれません。

災害看護とは「災害に関する看護独自の知識や技術を体系的にかつ柔軟に用いるとともに、他の専門分野と協力して、災害の及ぼす生命や健康生活への被害を極力少なくするための活動を展開すること(日本災害看護学会)」と定義されているように、決してDMATなどの急性期医療をイメージするものだけではなく、地域密着型で人びとの暮らしを支える活動も含んでいます。看護師は災害時には、地域のリーダーとなって活動できることが求められています。

2012年、5大学院での共同教育課程(5年一貫博士課程)「災害看護グローバルリーダー養成プログラム(通称:DNGL)」が開始され、2014年に私はこのDNGLの専任教員として東京医科歯科大学大学院に戻りました。2016年4月夫の故郷で熊本地震が発生し、すぐに現地に赴きました。人びとの暮らしが一変することを体感しながら、親族の被災経験とともに、これからも災害看護にかかわっていく決意をした瞬間でした。災害というと自然災害をイメージしがちですが、広義では、放射線災害やテロなどの人為災害も含みます。この間、放射線災害や人為災害について、知識や技術を習得する機会も得ました。実は、このDNGL一期生には、慶應看護医療学部一期生の方も入学し修了され、ご活躍されています。更に、専門看護師の分野にも2017年から「災害看護」の認定が始まり、現在では、保健師教育課程の中でも減災や健康危機の予防・防止に関することが重要視されるようになってきています。このような教育の流れからも、災害看護が看護学の中で重要な意味を持つものだとお分かり頂けるかと思います。

災害看護の地域での活動 (自主防災組織の医療連携訓練に参加した様子 DNGL修了生(学部1期生)と)
災害看護の地域での活動 (自主防災組織の医療連携訓練に参加した様子 DNGL修了生(学部1期生)と)

将来の展望

大学院時代の恩師:井上智子先生のお言葉を借りて「育てられたように、育ったように、そして育てたいように」(インターナショナル ナーシング レビュー:Vol.32,No.3/2009年)、微力ながら今後も看護教育に携わっていきたいと考えております。これまでお伝えしてきました通り、私は多くの人との出会いの中で、育てられ、成長することができたと実感しています。また、このように自身を振り返る機会を頂き、慶應の「独立自尊」「社中協力」「実学」、早稲田の「進取の精神」、東京医科歯科大学の「知と癒しの匠」、赤十字の「人道」どの理念も、私にとって重要な精神であり、今後も大切にしていきたいと思いました(写真は研究室の一角に飾られている、私の大切なルーツです)。

同窓生の皆様へのメッセージ

私の経験談で恐縮ですが、人との出会いを大切にしながら、今できることを精一杯していく中でおのずと道が開けていくと思います。看護医療学部の卒業生の方も、本学の大学院に入学してくださっており、慶應とのご縁が続いていることを嬉しく思っております。同窓生の皆様とも何かの機会でお会いできることを楽しみにしております。

また、豪雨、氾濫、土砂崩れ、地震、豪雪など、日本は年中災害の危機に見舞われており、医療に携わる人材は、災害医療・災害看護を第二の専門としていく重要性を痛感しています。私も教育・研究に携わる立場から、微力ながら災害看護について考え続けていきたいと思っています。皆さんも是非、身近なところの備えから、災害について考え続けて頂ければ幸いです。

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