インタビュー

川崎 笙子さん

川崎 笙子さん

(かわさき しょうこ)

インタビュー日時:2023年10月31日

卒業:2014年看護医療学部卒

所属:Save the Children

肩書:海外事業部

経歴

2014年 慶應義塾大学看護医療学部卒業
2014年-2018年 慶應義塾大学病院 心臓血管外科・循環器内科
2018年-2019年 サセックス大学(イギリス) 社会開発学修士
2020年- 現在 Save the Children Japan 海外事業部

学生時代から就職まで

小学生の時に国際理解の授業を受けた頃から海外で働くことに興味を持っていました。
慶應義塾大学の看護医療学部のオープンキャンパスで、奨学金(青田与志子記念慶應義塾大学看護医療学部教育研究奨励基金)の紹介があり、海外での活動を前面に出しているところが魅力的だと思い、慶應義塾大学への入学を決めました。
大学一年生の時にラオス研修に行ったことがきっかけで国際保健分野に火がついて、友人に誘われてeuphoriaという国際ボランティアサークルにも入りました。
看護師の免許を取ったからには、すぐに海外で仕事をするのではなく、病院での実務経験を積みたいと考え、卒業後は慶應病院に就職しました。

サセックス大学への留学

――サセックス大学ではどのようなことを勉強されたのですか
教育、医療、貧困など、開発全般を満遍なく学びました。
これまで看護のことだけを学んできたので、もう少し視野を広げようと思い、広く浅くといった感じで色々な分野の導入くらいまでのことを学びました。元々、看護師になりたいというより、こういう業界で働きたいというのがその前にあったので、医療・看護に限らず、様々な分野の知識があるといいなと思っていました。

――海外で働く上で看護師という職業を選んだ理由を教えてください
やっぱり、命がなければ何もできないなというのがあって、医療分野に進みたいと思っていました。その中でも、患者さんに一番近い存在でいられるのは看護師かなと思い選びました。

支援した村の女性たち
支援した村の女性たち

一緒に活動した現地のNGO職員
一緒に活動した現地のNGO職員

Save the childrenでの活動

――どのようなお仕事をされているのですか
日本を拠点に、外務省などの援助を得ながら途上国支援や災害支援をしています。
今のところは出張ベースで数ヶ月間海外へ行っています。
2020年の4月に入職した際は、ちょうどコロナ渦で海外への渡航がストップしてしまった時期でした。2022年に渡航が解禁され、2022年は半分くらい海外での活動にあたりました。
日本にいる間は、リモートで支援先になる国のローカルスタッフと一緒にプロジェクトを計画し、外務省や日本の資金をいただいて事業を実施しています。ローカルスタッフから報告書や写真を送ってもらったり、オンラインでミーティングをして進捗を確認しながら事業管理をしています。

――具体的にはどのようなプロジェクトがありましたか
直近で一番関わっていたプロジェクトは、マダガスカルを対象にした栄養プロジェクトです。
去年の2月に直撃したサイクロンにより大きい被害があり、最初は緊急支援という形で入りました。一番被害の大きかった地域が今まで支援が入ったことのない地域だったので、支援されるのに慣れていない、受け入れ体制が整っていないような場所でした。
支援対象地は農業が中心の地域でしたが、農地も全て流されてしまい、食べるものがなくなり、子どもの栄養状態が悪くなってしまっているため、子どもの栄養改善の支援に入ろうということになりました。村に大きなテントを立てて、そこで地域の看護師やボランティアの方に研修を行って、栄養状態が悪い子どもを特定し、栄養治療食をあげたり、母乳育児の指導をすることなどを通じて支援をしました。

――大変だったことはありますか
支援対象地へのアクセスが難しかったことです。田舎の地域だったので村の人々が保健医療施設に行くのにも歩いて何時間もかかり、更にサイクロンで道も無くなってしまったことでアクセスが難しくなっていました。それによって子どもの栄養状態が悪くても全く治療を受けさせられない状態で早く支援を開始したかったのですが、支援をしに行くにしてもテントや道具を運ぶことが難しくて。アクセスが良ければもう少しスピーディに支援ができるのにと思いました。大きな鉄筋の資材も車両で運べなかったので、地域の人が手で運ぶなど手伝ってくれましたが、支援開始までに2、3ヶ月経ってしまっていました。
すごく大変だったけれど、地域の方々が「あ、これが出来れば子どもがもっとよく育つんだ」というのをとても理解してくれて、協力をしてくれたから、土台が整ってからはスムーズに支援を進めることができました。また、マダガスカルの共用語がマダガスカル語とフランス語なので、村の人々と直接会話できないことも難しさの一つでしたが、ローカルスタッフの方がマダガスカル語、フランス語、英語を話せるので、スタッフの方と英語で話しつつ通訳をしてもらいました。

――緊急支援として活動をしたあとはどのようなことをするのですか
今は災害支援で終わりにならないように、3年くらいのロングスパンの開発支援を計画しています。
緊急支援は終わった後が大変で、例えばサイクロンがあった地域での支援は地域の行政などの受け入れる人たちと共にやっていくのですが、元々あった医療の基盤よりもちょっとレベルアップした支援をしていても、緊急支援が終わった後に事業が撤退してしまうと元に戻ってしまうことがよくあります。地域行政だけだと十分なお金がないことも多くて、事業終了後に行政だけで継続していくことは難しく、一時的な支援で終わってしまうのです。そうならないように、緊急支援の後に切れ目なく開発支援を実施し、行政が事業終了後に支援に頼ることなく活動を継続できるように働きかけて、より良い復興、前よりも良い復興をしましょうというところを目指して、政府レベルで巻き込んで一緒に制度構築をしていく予定です。これが結構難しいかなと思っています。
3年でも短いのですけどね。

――目標に向かって続ける原動力、モチベーションはどのようなところから来ていますか。
「楽しい」というと語弊があるかもしれないけど、euphoriaで活動をしていたときも色んな問題はあったけど楽しかったなというのはあります。また、仕事としてやってみて支援を受けた地域、人々に変化が見えた時、支援が本当に地域の人の改善につながっているという実感を持つことができ頑張ろうと思えるかなと思います。
友人たちも先週から海外に協力隊で行っていたり、来年から公衆衛生の大学院へ行く予定だったり、留学時代の友だちも海外で活躍していたりして、周りのみんなが頑張っているから頑張れるというのもあると思います。

――海外で働くとなると仕事と子育ての両立が難しそうだなと思っているのですが、実際はどうですか
お子さんを連れて駐在している方が結構たくさんいらっしゃいます。男性の方で娘さんを連れてベトナムに駐在している方や、旦那さんが仕事を休職して奥さんについていっているということもあります。
女性が多い業界というのもあると思いますが、子どもを支援する団体だから子育て中の職員に対しても理解があって、産休空けで復帰する際に1個昇格して戻れたり、海外事業部ということもあってフレックスで働くことができたりと、子育てをしながら働きやすい環境だなと思います。現地で子育てをしている方はナニーさん(一時的なベビーシッターと異なり、子どもの身の回りの世話だけでなくしつけや教育も行う)を雇っていることもあるみたいです。

支援対象の村に行く様子
支援対象の村に行く様子

将来への展望

現地で活動することが好きだから、この仕事は続けたいなって思っています。
今は看護師の経験があるということで栄養や医療系の分野の事業を持っているけれど、その中でも深い専門分野ができるといいなと思っています。
国際協力の中で、ローカライゼーションと言って、支援を一方的にするのではなく主体を現地に移そうという動きがあります。
そうなってくると私たちのような日本人の役割は、もっと日本の技術や知識をインプットするような、後方から支援する感じになってくるのかなと思っています。自分自身をスキルアップしてより深い専門分野を見つけることで、現地で自分が中心となって動くというよりも、一歩引いてアドバイスをするとか、現地の人々が自分たちの力でよりよい生活を築いていくためのサポートをするような、そういう立場になっていけたらいいなと思っています。
将来的には、専門性を高めて、その分野の専門家といえるようになりたいです。

一緒に活動をした保健施設
一緒に活動をした保健施設

皆様へのメッセージ

学生時代にeuphoriaで行ったインドネシアでの活動や、プロジェクトで行ったパレスチナなど様々な国で学んだこと、感じたことは、今の仕事に大きく影響を与えています。看護医療学部での経験は私の宝物です!

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