インタビュー

高野 八百子さん

高野 八百子さん

(たかの やおこ)

インタビュー日時:2013年10月03日

卒業:1983年厚生女子学院卒

所属:

肩書:感染症看護専門看護師

経歴

1980年 私立共立女子第二高等学校卒業
1983年 厚生女子学院卒業
1992年 立正大学文学部史学科卒業
2000年 北里大学大学院看護学専攻修了
2006年 感染症看護専門看護師資格認定

学生時代の思い出は?

 私は実習が大好きでした。授業よりも実習が楽しみで学校に行っていました。ベッドメイキングから、実際に患者さんと関わって少しのケアをさせていただく実習まで1つ1つが終わったあとに自己満足かもしれませんが充実感があり楽しかったことを覚えています。
 北海道に行けるという理由から公衆衛生学研究会に参加しました。企画して皆で取り組む活動の基本的ノウハウは実習や公衆衛生学研究会の活動が自分の糧になっていると思います。

なぜ、感染症看護を志したのですか?

 慶應義塾大学病院小児病棟で働いていた時に、心臓カテーテル検査などの検査入院目的の患者がRSウイルスに感染して重篤な状態に陥ったり、抗生剤の使用により下痢が続き数か月の入院を余儀なくされている現状に疑問を感じました。

 その時期に院内で開始された感染看護の研修(廣瀬千也子さん企画)に参加する機会をいただきました。指導を受けながらRSウイルス感染症対策に取り組みました。当時は手指衛生の5つのタイミングなどまだ言われていませんでしたので、時計を買ってきて手洗い流しに設置し「手を30秒〜1分洗いましょう」と啓発活動をしました。また、RSウイルス感染症の患者のベッド配置を経時的に図式化すると共に対策を実行しました。目に見えない感染を見えるようにすることで対策の評価につながりました。病棟の医師・看護師全員で対策に取組むことで感染拡大を防ぐこともできました。この成功体験が、感染についてもっと勉強しようと考えたきっかけになりました。

 当時の上司・同僚、医師も含めて指導・協力いただいたこと、感謝しています。

どのようにして感染症看護専門看護師になったのですか?

 小児病棟ではRSウイルス感染症だけでなく、CVラインの感染防止についても疑問を感じていました。95-96年、看護短期大学に二年間出向させていただきましたが、院内の感染セミナーを通じて活動を継続し、医療器具関連感染サーベイランスを開始しました。医療器具関連感染サーベイランスは米国で実施されていましたが、当時の日本にサーベイランスという考え方が入っていなかった時期でした。上司の指導を受けながらICU系、小児系、外科系、内科系と4部門のサーベイランスデータをとって感染率を出しました。カテーテル感染防止について課題が大きいと感じました。

 97年春、病院に戻り感染対策室と主にHIV感染者の診療を行う外来担当になると同時に大学院で感染症看護を学ぶことになりました。

 日本看護協会の専門看護師制度は1995年から特定、1996年に認定が開始されていますが、感染症看護の分野特定はされていませんでした。2000年に大学院を終了し、専門看護師を目指そうとする数名と自主的な勉強会を行い、実績報告書(専門看護師の審査に必要な書類)による事例検討を行いました。人数も少なかったため大学院終了後6年目で漸く感染症看護が分野特定され、私自身も感染症看護専門看護師になることができました。資格にとらわれることはないと考え、途中で領域申請を断念しようかと何度も考えましたが、私のような者でも資格をとれたら、後に続きたいという人のチャンスを広げることになるかもしれないと考え続けてきたと思います。資格が取れた時、当時の木村看護部長、応援してくれていた先輩達、一緒に仕事をしていた医師などが、自分以上に本当に喜んでくれ、期待されていることがわかり、これから恩返しをしていこうと決意しました。

 1回目の更新をするころに、自分自身で振り返ってみましたが、資格がなければ漠然と業務として感染対策に取組んでいたかもしれません。役割が明確になっている専門看護師であるからこそ、目的を持ち、目標を達成するような仕事の取組を意識して活動することができたのかもしれません。

大事にしていることは何ですか?

(1)管理ではなく看護として感染制御に取組み風土をつくっていく

 先に述べたように、私の感染症看護への興味は、検査入院だったはずの子どもが感染によって3か月も入院するようなことが問題だと感じたところから始まりました。私にとって、それは看護だったのですが、感染対策を始めた当初は、皆に看護ではなく感染管理ではないかと言われた事もありました。手指衛生やゾーニングだけでいいならば感染管理かもしれません。私は患者に感染を起こさせないために看護師が何をするべきか、感染が起きた時に看護師が何をするべきか、看護として取り組むことから外れないようにしようと考えました。慶應義塾大学病院看護部では、私が感染制御を看護として取り組む事を支援してくれ、取り組む過程で他の看護師たちも気付いてくれました。そのような中で、感染制御において働く施設の組織風土作りが重要だということも理解しました。自分が大切だと思うことを表現して人に伝えることが組織風土作りの一つであるのかもしれません。

(2)医療器具関連感染サーベイランスを通して感染リスクをアセスメントする

 私は感染リスクをアセスメントすること、ディバイス(医療器具)関連感染防止に力をいれています。現在、15病棟ほどの看護師と定期的に感染リスクをアセスメントしています。病棟により具体的な方法は少し異なりますが、「感染リスク」の看護診断をあげている患者さんについて、アセスメントすることを目的としています。結果として医療器具に関連した感染を判定し、病棟でのカテーテルに関連した感染率を算出(サーベイランス)することになります。一般病棟の看護師皆で感染リスクをアセスメントしている病院は他にないですし、これほど多くの感染率を把握できている病院は他にありません。
 感染リスクはどの診療科においても、全ての患者でアセスメントが必要であり、リスクが高い人に看護診断を出しています。診療科ごとの専門性に特化した看護師にとどまらず、ジェネラリストナースがよく理解して感染のリスクをアセスメントすることが必要となってきます。

(3)感染症看護専門看護師として

 専門看護師というのは、同じ分野であっても同じ活動をするわけではありません。所属施設、看護の対象、専門看護師自身の力量や特徴など総合的に判断し活動内容が異なります。感染リスクアセスメントに力をいれるという私自身の希望とそれを受け入れてくれている看護部に感謝し、感染のリスクアセスメントの支援という点でジェネラリストナースの育成に今後も力を注ぎたいと考えています。
 今はどのような医療の現場でも複数のチームが、重なりながら医療が実施されています。チームの中で看護師は一実践者であり、また全体の調整という役割も求められます。意義のある医療チーム活動か否かのポイントは看護師に左右されるといっても過言ではないのではないでしょうか。感染症看護専門看護師として、感染制御チームの中で力を緩めた傍観者でなく、要となって質の高い感染制御活動に取り組みたいと思っています。

紅梅会への思い

 一度慶應病院を退職しましたが、現在も感染制御に関して外部の方たちとよくお仕事をご一緒させていただく中で、「慶應」という同窓の深さに触れます。さらに「看護師のチームで感染リスクをアセスメントしよう」という看護を深く考えることができるような看護師を育てているのは慶應の看護がベースになっていると思います。過去の先輩たちの看護が私たちを育ててくれたと思いますし、私たちも同じように後輩につないでいかなければいけないと思います。紅梅会は、そういう価値観、考え方がつながっていくところであり、育っていくところなのではないかと思います

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